「ギター弾きの恋」

なくして初めて判る大切な人


  

今回ようやく観てきたのは、ウッディ・アレンの「ギター弾きの恋」。
会場は久しぶりの新梅田シティのガーデンシネマ。火曜の最終回だからか、それとも公開されて随分日が経っているからか、20名程度の寂しい入りでした。 ここは、後ろから3列が比較的観やすい位置になりますね。

この映画は好きになる人と、なんとも思わない人と別れる作品のような気がします。ボクはもちろん「好きな」人。
ドラマ仕立てになっていなくって、ドキュメンタリーの手法が取り入れられている。冒頭からウッディ・アレンのエメレット・レイの解説が入り、その後も、ウッディ・アレンや著名なジャズ評論家のコメントがしっかり入る。
だから、物語に没頭できない人もいるんだろうなぁ。

旅芸人が頭の少し弱い女の子を連れて旅を重ねる。自分はその女のことは屁とも思っていないと、思っているんだけど、尽くす女にいつの間にか惚れていっている。でも、男はそんな自分に気づかない、いや気づかないフリをしている。
そして、大事なものを無くして初めて、なくしたものが自分にとってどれだけ掛替えの無い大切なもの(人)だったのかを思い知る。
この映画を観て、ふと想いだすのがこの「道」ですね。
このストーリーの「旅芸人」を「天才ギター奏者」に、「頭の少し弱い」を「口が利けない」に置き換えれば、この「ギター弾きの恋」になるのです。
きっと、ウッディ・アレンもこの「道」を念頭に置いて作品を作り上げたのでしょうね。

口が利けないハッティが素敵。 もちろん、口が不自由なのは大きなハンディなんだけど、それを逆手にとって、仕草や顔の表情で、セリフに負けないだけの演技を魅せてくれます。
いつも深めにかぶっているダブダブのニット帽にこれまたダブダブのセーラー服。
エレメットが出演するクラブに行き、お酒を飲まずに、アイスクリームやパフェをほおばる姿がほほえましい。
「女は邪魔だ」「拘束はアーチストの敵だ」なんて言ってはばからないエメレットもハッティが喜ぶ笑顔が見たくて贈り物をしてしまう。
最後にエメレットが破滅していく過程を映さないのはウッディ・アレンの優しさなのでしょうか。
最後の最後になってエメレットは感情を素直に外に出すことができて、これから演奏の幅というか艶が出てくるところなのにね。

甘い恋の物語りではなく、観ていて、つらくそして切ないお話なんですが、「素直な気持ちで自分の周りを見回してみたら、そこには小さいかもしれないけど、幸せが転がっているかもしれないよ」と教えてくれる佳作です。
このところたくさん映画を観るようになって「人間というものは後悔して生きていく動物なんだなぁ」とつくづく知らされました。

「ソウル風邪」も一段落。ようやく復調してきました。
でも、風邪で元気がないうちに「ファストフード・ファストレディ」「タイタンズを忘れない」などを見逃してしまった。
映画って「観よう」と思うのは簡単だけど、いざ「映画館に足を運ぶ」って言うのは案外エネルギーが必要なんやなぁ。
やっぱり、健康が第一。皆さんも元気にお過ごしくださいね。

おしまい。