「冷静と情熱のあいだ」

映画は映画、小説は小説


  

江國香織と辻仁成が書いた同名の連作小説が原作。
ボクは映画化が決まってからこの小説を一気に読んで、痛く感動した。
そして、小説を読んでからは映画は観たくなかった。正直言って自分の中にあるあおいと順正のイメージを壊したくなかったからだ。
だから、ほんとは封切り二日目に主演のケリー・チャンの舞台挨拶とともに本編も梅田劇場で観るはずだったけど、その機会を逃してしまい、ずるずると日を延ばして、ようやく終映の週に劇場もOS劇場に変わってから観てきた。

結論を言うと「いい映画」だった。

最初は違和感が一杯だった。この違和感を持ったまま2時間以上の映画を観続けるのは「つらい」とさえ思った。でも、映画が進んでいくとケリー・チャンのあおいも、それはそれでイイじゃないかと思いはじめた。映画は映画、小説は小説として割り切ってしまうことも大切だ。
ボクの中ではあおいはもっと繊細で華奢な感じの女性だった。でも、映画の中のあおいもこれはこれでイイ。もちろん、小説を読んでから映画を観るという順番が正解だと思うけどね。

映画の序盤で、ミラノであおいと順正があっさり再会してしまうのはどうかな、と思うけれど、わずか2時間で小説2冊分を映像化するんだから、多少の変更は仕方ない。許容範囲か。

この映画を観る人のほとんどは竹野内豊がどんな俳優さんか知っていて、ケリー・チャンがどんな人か知らないのだろう。でも、ボクは逆だ。ケリー・チャンがどれだけのスターなのか良く知っているけど、竹野内豊がどんな顔をしているのかこの映画が始まるまで知らなかった。

好きになった(気になった)シーンは三つ。
あおいが順正に初めて電話をかけるために入った公衆電話のボックスで見せる期待とためらい。
あおいがミラノの電話ボックスから東京にいる順正に電話をかけるのだけれど何も話せず、泣き崩れてしまう悲しさ。
そして、再会した二人が河畔の公園で弦楽四重奏を聞いている時に二人の想い出の曲が突然演奏される。その時の順正の驚きと感動。

イタリアへ行ってみたくなりました。

おしまい。