「黄色い大地」

木を削った魚が悲しい


  

続けて観たのは「黄色い大地」(「紅いコーリャン」と二本立て)。これも大陸の作品。制作は1984年です。
舞台は1930年代。陝西省北部、黄河流域にあるとんでもなく貧しい農村が舞台。どこまでも果てしなく続く黄色い砂漠。それもなだらかではなく切り立った急峻な起伏が連続している。最初は砂漠だと思っていた土地の一部がやがて農耕地だったとわかり、衝撃を受ける。
ここに住む家族には井戸がない。井戸がないから黄河まで水を汲みに行かなければならない。黄河までの距離は「そんなに遠くない」と言いながら、実は5kmもあるのだという。この距離を毎日数回、木の桶を二つ天秤棒に下げて往復するのだ。
随所に挿入されるこの家族の貧困の度合いと売買婚が、この映画のテーマになっている。

人間らしく生きたい。結婚する相手は自分で選びたい。今の世の中であれば、当たり前のように思えることも、当時は臨むべくもないことだった。
娘が生まれれば、娘は「商品」だ。育て、労働力として養い、適齢期が来れば一番多く支度金を渡してくれる相手に売る払うように嫁がせる。娘は婚家で食べて行ければそれで幸せじゃないか、そんな考え方だ。

解放(?)が進んでいる南の方では、娘達も教育を受けて「字が書ける」という、髪も切り、男たちと一緒に日本軍と戦っている。そんな話しを聞かされて翠巧は憧れを感じる。自分もこんな生活から抜け出して南へ行ってしまいたい。そんな思いを日毎に募らせていく。
やがて彼女にいろんな事を教えてくれた八路軍の青年・顧青が延安に帰る日が やって来た。翠巧は彼に一緒に連れていって欲しいと懇願するが、受け入れてはもらえなかった。「必ず迎えに来るから」と言い残して顧青は去っていく。
彼が去っていく背中に向かって唄う翠巧の歌は悲しかった。

圧倒的な中国の自然。その中で人間の営みはなんと無力で愚かなんだろう。そんなことを感じさせてくれるほんとに黄色い大地が延々と続き、人々がこの土地にへばりついて生活している。その哀愁を唄う歌はどれも悲しいねぇ。
この映画の設定から70数年を経て、中国内陸地にある極貧の農村で生活は変わっているのだろうか? ボクはそんなに変わっていないような気がします。 結婚は少しは自由になったかもしれないけれど、この村で人々は大地に這いつくばって今日も生きているんだろうな。

最後に翠巧が住んでいた村に顧青が訪ねてくるのが、せめてもの救いでした。

一度観る価値はある映画のような気がします。でも、この「黄色い大地」も天六での上映は終了してしまいました。

おしまい。