「風の丘を越えて〜西便制(ソビョンジェ)」

悲しさとなつかしさに出会える名作


  

今回観てきたのは、九条のシネ・ヌーヴォで開催されている「コリア映画祭2000」。「風の丘を越えて〜西便制(ソビョンジェ)」。1993年の韓国映画。いつも10名くらいの入りで、20名を越えると「今日は良く入っているなぁ」と思うシネ・ヌーヴォですが、この日は補助椅子まで出る「満員御礼」。100名くらい入っていたでしょうか。若い人は少なかったけどね。
この映画で主題として扱われているのは韓国の伝統芸術「パンソリ」。このパンソリは口承で伝わる唄いで、唄い手と、合いの手を入れる太鼓からなっている、どちらかというと悲しい調べです(楽しい調べもあります)。でも、とても力強く、聞いていて感動を誘われます。歌劇(ミュージカル)仕立ての場合もあるようですが、詳しくは分かりません。

山の中にある寒村に30代の男が立ち寄る。この村に女のパンソリ唄いがいると聞いたからだ。この村の名前は「唄の谷」(だったかな)。宿の女の唄うパンソリに合わせて太鼓を叩く男は、ばちを振りながら昔知っていたパンソリの旅芸人の一家を想い出す。

父親(ユボン)と血の繋がっていない少女(ソンファ)と少年(トンホ)は、芸に厳しいユボンからパンソリの芸を仕込まれながら、旅から旅への毎日。やがて、娘と青年に成長した一家は、旅の途中、三人で実に楽しそうに「珍島アリラン」を唄い踊るのだ(このシーンは5分くらいしかもノーカットで続く前半のクライマックスです)。パンソリのノドは一流だが、自尊心が高く人付き合いが下手なユボンは、商売が下手な上に、西洋音楽が入ってきて、パンソリは「もう時代遅れの芸だ」と烙印を押されてしまい、だんだんその日の暮らしにさえ困るようになる。パンソリをこのまま続けていても将来はないと感じたトンホは、パンソリの稽古を続けるユボンとソンファを残して、飛び出してしまった。

宿の女は、この唄は目の不自由な娘さんから教えてもらったと、男に話す。娘はパンソリの完成度を高めるために父親が失明させられたのだという。実は唄の谷を訪れたのは成人したトンホだったのだ。トンホは別れたままになっている父・ユボンと姉のソンファの消息を尋ね歩いているのだ。
トンホが出ていった後の二人が、それこそ血のにじむような思いでパンソリを極めていく姿やソンファが光を失う理由が丁寧に描かれます。そして二人の後を各地に尋ねるトンホの姿が交互に描かれていく。

海辺のなにもない寒村にたどり着いたトンホは一件の宿(とても宿には見えない)の扉を開ける。

「酒はありますか」
「マッコリはないけどソジュならあるよ」
「ここに、唄の上手い目の不自由な女の唄い手がいると聞いたのですが」
「ウワサを聞いてきたのかね」
「ええそうです」

別の部屋から出てきたのは20年ぶりに逢うソンファ。でも、目の見えないソンファは、目の前にいる男がトンホとは気が付かない。トンホも「お姉さん!」っと言って抱きつくわけでもないソンファの完成されたパンソリの唄に合わせてトンホの太鼓と合いの手が入る、二人の表情は変わらないけど、ソンファの唄には一層の力が入り、いつしか見えない目から涙がこぼれ落ちる、トンホの頬も涙に濡れている。二人は一言も言葉を交わさないんだけど、お互いがお互いを分かっていたのだ。

翌朝、トンホは寒村を後にするバスに乗り込む。見送る人は誰もいない。お互いに名乗り合わずに別れてきた。そして、ソンファもまた流浪の旅に出るのだ。

親子三人で実に楽しそうに唄い踊る姿と、寒村の部屋で涙を流しながらパンソリを奏でる二人の姿は感動的。至る所に情緒豊かな自然の風景が出てきて、バックに流れるパンソリの唄声ととてもマッチしています。

感動の名作ですので、チャンスがあれば是非ご覧下さい。(と、言っても次回は何時上映されるか分かりません。レンタルビデオが出ているので、借りて観て下さい)

今回の「コリア映画祭2000」ではいろんな作品を上映していますが、北朝鮮の怪獣映画「プルガサリ」、在日韓国人が撮った「尚美/蜜代」、チャンスがあれば「シバジ」を観たいと思っています。また、来年になりますがハン・ソッキュ主演の「グリーンフィシュ」が梅田で公開されますので、ハン・ソッキュのファンの方はお見のがし無く!
12/9にはシム・ウナさまの「美術館の隣の動物園」がパラダイスシネマで公開されています。是非ご覧下さい。

おしまい。